私の実家は京都にあります。その家は8年前に建てた大きな二世帯住宅です。
その家に住むまでは、わけあって古い古い家に住んでいました。
部屋も狭くてとてもじゃないけど何かを飾りたいという気分にはなれなくて
照明もどこか暗く、そうなると目に映るものもどこか寂しげに暗く、今思えば心も暗くなっていたような気がします。
その古い家から今の実家に引っ越した日、新築の香り漂うガランとした部屋を見渡した後、
私は少女気分で大の字に寝そべりました。
目を開けてみると、一面に真っ白な天井が広がっていたので、嬉しい鼓動を静める為に深呼吸をひとつ、
しかし胸のワクワクは止まりませんでした。
そんな初々しいトキメキも束の間、新築にも慣れて来たある日のこと、友人からこう言われました。
「最近、あか抜けたなあ。」
その一言に少し驚きながらも、鏡に映る自分を見つめながら妙に納得してしまったのを今でも憶えています。
一体何がこの私を変えたのか?
そう言えば、笑い方が変わった、着る服も変わった、仕草も変わった、だから人間関係もちょっぴり変わった。
よくよく考えてみると、変化は並べられるほど沢山あったのです。
そう、住む環境って本当に大事。その時、私はそう確信したのです。
しかし、今日ここで言いたいのは新しい家に住めばいいというおバカな極論ではありません。
例えば、なんでもないサイドボードがリビングにポンと置いてあったとします。
それは代々使われている当たり前に配置されるべき家具のひとつだったとします。
まず、収納部分には収納したいものを収納するのは当然でしょう。
では、サイドボードの上はどうしますか?
ただの物置にしますか?
それとも何か飾りますか?
つまり、「そこ」なんですよね。
私の場合は8年前に新築で暮らし始めたということがきっかけで”そこ”が変わったのです。
「そこ」に何かを飾りたいと思えるようになった日から、私の中の感性に磨きがかかったのです。
そして今住んでいる横浜の家。結婚してからここに住んでいるのですが、この家もすごく好き。
主人の趣味もあって色んなものが飾ってある、この発想豊かな創造空間が私は大好きです。
けれどもまだまだ発展途上の段階ということで、「そこ」への拘りを更に追究して行きたいと考えているのであります。
【ライター】カナリヤ響子
2003年7月よりwebをメインに活動するインディーズアーティスト、シンガーソングライター。
オリジナル、カバー、コラボ、ユニットソングなど
itunesStore、AmazonMp3等にて配信中。